私は職場からの強い希望(無言の圧力)により、7ヶ月で保育園へ息子を預けて職場復帰しました。
今思えば、1年しっかり育休をもらえばよかったなと少し後悔しています。
もともと人見知りが酷い息子だったので、心配していましたが、案の定というか何というか、予想外なことも起こりました
7ヶ月で保育園に通い始めた息子の話
人見知りなので、保育園で解れる時は泣くだろうなぁとは想像していました。
案の定です
保育士さんに預ける時に大泣き
まだ歩けないので、保育士さんへ息子を預けます
その時に、預ける前から何かを察して泣きだします
もう可哀そうで可愛そうで、こっちまで泣きそうになりました
しばらくは続くけど、そのうち慣れますよと保育士さん。
確かにそうかもしれないけど、なんだか申し訳ない気持ちになりました
保育園でミルクを完全拒否で飲んでくれない
これが一番困りました。
保育園に預けた初日、お昼前にスマホの電話が鳴り、見て見ると保育園から。
さっそく何?と思って出てみると

お母さん、しゅうくんがミルクを飲んでくれないんです。
お昼休みにミルクを飲ませに来ていただけませんか?
えーっと驚きました。
息子はずっと混合で育てていたので、まさかミルクを飲まないなんてことが起きるとは思わなかったからです。
自宅の哺乳瓶を預けてもダメでした
保育園の先生と相談して、
- 乳首が変わった
- ミルクの味が変わった
この2つの理由が関係しているかも?ということで、我が家から哺乳瓶とミルクの缶を持って、翌日は息子を預けました。
しかし、お母さんダメでしたと電話がありました。
県局は、知らない人から飲まないって感じなんだと思います。
なかなか頑固な息子です
お母さん!ミルク飲みました!!の連絡に感涙


朝は泣いて可哀そうだし、ミルク飲まないくらい精神的に辛いんだぁと思うと、ますますごめんなさいって気持ちが強かったのを覚えています
しばらくお昼休みに保育園へ通いました
幸い、勤務先から保育園までが車で5分くらいのところだったので、毎日オニギリを作って、お腹を満たして保育園は通いました。
保育園が遠かったら、大変だったろうなぁと思います
これはこれで、今となれば思い出なんですけど、当時はミルクの後にまたお別れが待っているので、逆に可愛そうに思っていました。
1週間が経過した頃に保育園から電話がありました
正確に何日だったか覚えていないんですが、1週間は確実に経過していたと思います
その日もオニギリを2つ用意して、カバンの中に忍ばせていました。
すると保育園から電話がかかってきたんです



母さん!ミルク飲んでくれました!!
今日からお昼に来ていただ無くても大丈夫ですよ!!
なんだか、あっけにとられた感じで力が抜けました。
嬉しさと同時に寂しさも押し寄せてくるという不思議な感覚だったのを覚えています
5歳になってから、息子に話をしました
最近になって、そのころのことを息子に話をしました。
話した時は、あまり反応がなかったんですが、しばらくたって小さい頃の話になったとき
僕、ミルクを飲まなかったんだよね
僕、ミルク飲まなかったんだよね
記憶の中にインプットされていたようです。
ここにそうだよ。お母さんはお昼休みに保育園に行って、ミルクをあげてたんだよ
そう話してあげました。
すると、少し笑ってまた別の遊びをはじめました
保育園の先生にも今だに言われます
当時、息子がお世話になっていた保育園の先生で、既に退職された方に時々会うんですが、いまだにこの話になります。
先生の記憶にも残っているらしく、
さらに、ミルクを飲んでくれた時の喜びも大きかったらしく
その話題が何度となく出てきます
でも、同じように喜んでくれた保育園の先生に感謝です
飲んだ時、大声を出さないように他の先生にアピールして、喜びを共有してくれたようです
まとめ
息子が保育園に通い始めて、
- 毎朝ギャン泣き
- 毎日ミルクを拒否
について話をしました。
ミルクは1週間程度で飲んでくれるようになりましたが、ギャン泣きだけは結構続きました
途中で泣かない日も出てきましたが、今度は嫌がって抵抗するようになります
保育園生活も、なかなか大変です。
年中さんになったころから、嫌がらずに行ってくれるようになりました


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